江尻南美 Nami Ejiri
   

   この日記のページの機能を、ブログに託すことにしました。                                                  お手数ですが、こちら http://blogs.yahoo.co.jp/ejirinami で日記をお読みくださいませ。

 

     夏のひととき                             2005年9月24日

「ヨーロッパの人たちは、たっぷりと何週間も休暇を取る」とよく言われる。学校が夏休みの頃になると、街の中もガランとして、ただでさえ湿気の少ない爽やかな夏が、更に風通しが良くなる感じである。

ここ数年、ユーロで統合された国々から、たくさんの人々が良い仕事を求めてやってくるドイツである。その上、地域によっては物価がとても高くなったので、競争が激しく、悠長に仕事を休んでいるとライヴァルに負けてしまうという不安が募る、と洩らしている人たちが私の周りにも結構いる。それでも、年の初めには、今年はいつどこで、数週間のお休みを取ろうか、と計画を立てるのが普通である。

森下洋子さんのお言葉だったかと思うが、練習を1日休めば自分にわかり、2日休めばお客様に、3日休んだら世界中にわかってしまう、というバレリーナとは少し違うかもしれないが、とにかくピアノを触れれば安心する、という感覚が私の中にもある。舞台の袖の暗がりで、出番を待つほんの数分の間でも、扉の小窓やカーテンの隙間から、舞台にあるピアノをこの目で確認すると、心がとても落ち着く。

休暇の自慢話で盛り上がっている、音楽家を含めた仲間を目の当たりにしている間に、いつか私も、太陽のさんさんと降り注ぐ、ギリシャの青い海と白い建物だけに囲まれて過ごす10日間とか、スペインの片田舎で古い街並みに埋もれて時間を忘れてみたい、とか思うようになっていた。

今年の初め、クリスマスカードのお返事の中に、一度コンサートをさせていただいたことのあるお宅の持ち主からお便りが届いた。「我が家のピアノが、またあなたに弾いて欲しいと言っています。いつでも、遊びに来てください」

そのお家は、生き生きとした現代美術品や、たくさんの本が置いてあり、オーストリアのアルプスの麓にある。その中に佇むピアノを弾くと、自分までもが芸術品の一部になった感覚になる。恐る恐る、その方に、一日中、弾きたいときにピアノを弾いていいのか、などと、勝手な注文をしても、この家は、そういう人のためにあるのです、と嬉しいお答え。

オーストリアやスイスでの夏の間の山ごもりは、そう言えば、ブラームスやマーラーなど、数限りない音楽家たちがやっていたことで、楽器つきのお部屋をもらって、凄い曲の数々を書き残した。練習に疲れたら、そんな彼らの過ごした街を訪れたり、家の裏山(と言っても、1時間も歩けば氷河にも出会える)を歩き回ったり、夢のような数日間であった。

天才作曲家たちのような成果を上げられたかはさておき、休暇というものへの憧れが、このような形で現実になって、幸せな夏となった。

 

 

 

 

 

氷河もあるこの山の麓に、お世話になったお宅が潜んでいます。

 
    はじめに                        2005年8月18日

「お目覚めですか」と書かれた可愛いイラスト入りの小さな用紙が、前の座席の後ろ、つまり私の目の前に貼ってあった。成田空港まで見送りに来てくれた友人らが、またしばらく会えない寂しさを胸に、送迎デッキから手を振ってくれていることを思い描きながらも、徹夜明けの深い睡魔が、離陸の際の轟音をもろともせず、私をすでにシベリア上空まで連んで来てくれていた。もう何度、こうして地球の片側を行ったり来たりしているだろう。

世の中には、超多忙銀行マンや売れっ子ピアニストのように、世界中を数日間単位で移動している人たちがいる。自分もそうなってみたいと思っていることに気づいたのは、まだ海外へ行くのが2、3度目の頃、ひと夏に2回ヨーロッパを往復したときに、「わぁー、プロの演奏家みたい」と言われて嬉しかった時だった。

それから10数年。売れる演奏家が必ずしもいいアーティストではないらしいこと、コンサートがたくさんありすぎたら納得のいく演奏をするのは不可能なこと、移動ばかりしていると精神状態がフツーではなくなること、などを自分の目で見てくる中で、「世界を股にかける演奏家」への憧れがなくなったかというと、そうではない。演奏をしに出かけていく時のわくわく感、そしてその日までの準備期間の幸せなことと言ったらなく、今でも時々は、予定がギリギリになることもあるくせに、もっと演奏できたらといつも思っているのである。

一つの訪問が終わって飛行機の座席に身体を沈めると、この飛行機を降りたら再び、異常なほど孤独な勉強の日々が待っていることを思い出し、その地でお世話になったたくさんの方々の底無しの暖かさを、これからの心の支えの糧にさせていただこうと胸の奥深くにしまい込み、自分が強くなっていくのを実感する。

ここ数年私に与えられた旅の数々は、ドイツでの生活という人生の旅の一部も含めて、演奏する場があってもなくても、悲しかろうが幸せだろうが、どんな時でも私は結局、音楽という果てしなく広大な芸術の宇宙に戻るしかないということを証明してくれた。

これまで力をくださった方々、演奏を聴いてくださった方々、そしてこれから出会う、もしかしたらお話することすらないかもしれないけれども目に見えないエネルギーをくださるであろう方々と、この場で私の非常に拙い文章を通してでも交流できることを、とても嬉しく思います。


 

 

フランクフルトの自宅より 午後10時の夕焼け

 
 
 
Copyright 2005 Nami Ejiri