「ヨーロッパの人たちは、たっぷりと何週間も休暇を取る」とよく言われる。学校が夏休みの頃になると、街の中もガランとして、ただでさえ湿気の少ない爽やかな夏が、更に風通しが良くなる感じである。
ここ数年、ユーロで統合された国々から、たくさんの人々が良い仕事を求めてやってくるドイツである。その上、地域によっては物価がとても高くなったので、競争が激しく、悠長に仕事を休んでいるとライヴァルに負けてしまうという不安が募る、と洩らしている人たちが私の周りにも結構いる。それでも、年の初めには、今年はいつどこで、数週間のお休みを取ろうか、と計画を立てるのが普通である。
森下洋子さんのお言葉だったかと思うが、練習を1日休めば自分にわかり、2日休めばお客様に、3日休んだら世界中にわかってしまう、というバレリーナとは少し違うかもしれないが、とにかくピアノを触れれば安心する、という感覚が私の中にもある。舞台の袖の暗がりで、出番を待つほんの数分の間でも、扉の小窓やカーテンの隙間から、舞台にあるピアノをこの目で確認すると、心がとても落ち着く。
休暇の自慢話で盛り上がっている、音楽家を含めた仲間を目の当たりにしている間に、いつか私も、太陽のさんさんと降り注ぐ、ギリシャの青い海と白い建物だけに囲まれて過ごす10日間とか、スペインの片田舎で古い街並みに埋もれて時間を忘れてみたい、とか思うようになっていた。
今年の初め、クリスマスカードのお返事の中に、一度コンサートをさせていただいたことのあるお宅の持ち主からお便りが届いた。「我が家のピアノが、またあなたに弾いて欲しいと言っています。いつでも、遊びに来てください」
そのお家は、生き生きとした現代美術品や、たくさんの本が置いてあり、オーストリアのアルプスの麓にある。その中に佇むピアノを弾くと、自分までもが芸術品の一部になった感覚になる。恐る恐る、その方に、一日中、弾きたいときにピアノを弾いていいのか、などと、勝手な注文をしても、この家は、そういう人のためにあるのです、と嬉しいお答え。
オーストリアやスイスでの夏の間の山ごもりは、そう言えば、ブラームスやマーラーなど、数限りない音楽家たちがやっていたことで、楽器つきのお部屋をもらって、凄い曲の数々を書き残した。練習に疲れたら、そんな彼らの過ごした街を訪れたり、家の裏山(と言っても、1時間も歩けば氷河にも出会える)を歩き回ったり、夢のような数日間であった。
天才作曲家たちのような成果を上げられたかはさておき、休暇というものへの憧れが、このような形で現実になって、幸せな夏となった。